白髪の王子様の好奇心 83 健康寿命

健康寿命
呼んだ覚えがないのに又お正月が当たり前のような態度でやって来ます。
もう少し、のんびりと温泉にでも浸かっていればいいのに。
数え年は誕生月は関係なしにお正月に一つ年を加えます。古くはそれが当たり前でした。
年を迎えるとはそういう意味もある訳です。
70回も80回もお正月を迎えた我々は、暫く来なくていいよと言いたくなるのです。
毎年発表される平均寿命は年々長く成り、女が86歳、男もようやく80歳に到達しました。
しかし肝心なことは、人の世話にならないで自律できる健康寿命であります。その健康寿命も発表されています。女74歳、男71歳です。
私は特に長生きしたいとは思いませんが、70歳を過ぎた身を思うと健康寿命まであと1年しか残されておりません。今更ながらちょっとショックであります。
私は身長も体重も頭も平均並みであることから健康寿命も平均並みだと思うのです。
『人生50年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を受け 滅せぬもののあるべきか』
有名な敦盛ですが、50年を超えて70歳まで生きたんですから贅沢なんか言えません。
信長が活躍していた戦国時代の平均寿命は35歳前後であったのではと、ある学者が述べております。
度重なる戦と、毎年やって来る台風、洪水、疫病、飢餓、そして火山の噴火や大地震を考えると頷ける点もあります。
当時は病院もないことを考えると平均寿命はそのまま健康寿命と言える程接近していたことでしょう。
幕末の頃、倒幕に活躍した武士達は何歳まで生きたのでしょうか。気に成り調べてみました。
坂本龍馬 33歳、西郷隆盛 50歳、中岡慎太郎 29歳、桂小五郎 44歳、高杉晋作 28歳、
小松帯刀 35歳、であります。これだけ見ると平均36歳前後で戦国時代とあまり変わりません。
しかし驚くことは20代〜30代の若者達が中心となって政治を動かしていたんですね。
平和となり、せっかく寿命が延びたのに、今お年寄りの間でブームになっているのがポックリ寺へのお参りです。これは悲観的な気持ちではなく、健康だからこそ死ぬ時は苦しまないで、しかも家族の迷惑にならまいようにとの考えから生まれたもので、誰でも還暦を過ぎたあたりから考えることです。
ポックリ寺が有名になったのは有吉佐和子の小説『恍惚の人』の題材からあるテレビ局が奈良の吉田寺を紹介してからです。このお寺にお参りすると苦しまないで往生できるそうですと報道したところ、多い時には全国から、たった1日でバス27代も押し寄せたそうです。お年寄りの考えることは皆同じことなのであります。
今年の世相を表す漢字一文字に『税』が選ばれました。
毎年この催しが行われるのは京都の清水寺ですが、この清水寺健康寿命は、あと400年だそうです。その時のために、既に2000年から必要となる木材の植林が行われているそうです。長大な計画ですね、徳川300年より100年以上も先のことなのに今から準備しているのです。
『招来のために今できることから始める』そんなことを教えられるニュースであります。
それなのに、あ〜それなのに私は400年後の先祖にまで恥をかかせるようなブログを懲りずに書いております。ここまで来たら残り1年の健康寿命を最大限に活用して、皆さんと楽しい思い出を共有したいと両手の人差し指を動かしております。
今年はキッチンの蛇口と給湯器と電源切り替えのスイッチが健康寿命となり多額の出費となりました。
電気製品を含めると我が家の健康寿命は宝くじ売り場の行列のように順番待ちの状態であります。
頼むからお正月にポックリいかないでくれたまえ。