白髪の王子様の好奇心 39 一人暮らしの爺さんは何故かみすぼらしい

一人暮らしの爺さんは何故かみすぼらしい
仕事柄、私は様々な家庭を訪問します。同じ仕事の仲間達が口を揃えて言う言葉が表題の『一人暮らしの爺さんは何故かみすぼらしい』である。貧乏臭いのでは無い、立派な屋敷に住んでいても感じる不思議なイメージなのである。
一人暮らしかどうかは分からないが、スーパー等で買い物籠をぶら下げて、うろうろと食品を見ている『おじん』は同じおじんである私から見ても確かにみすぼらしいのである。
更に、ビニール袋を両手に下げてトボトボと歩く姿は、背中に『みじめ』と書いた紙を張り付けたくなる程哀れに見えるから不思議である。
私は一人暮らしではないが、個人的に必要な物が有れば気軽に駅前のスーパーに立ち寄る。
そこには同年輩と思えるおばちゃま達がわんさか居るし、腰の曲がったお婆あちゃんも居る。しかし彼女達は生き生きしていて『みすぼらしい』等というイメージは全く無いのである。
なぜだろう、不思議である。
きっと買い物に対する意気込みが違うのであろう。
台所を預かる主婦にとっては毎日の食材の仕入れは戦いである。目を付けた物は、横から伸びた手をかいくぐって手に入れる。頭にインプットされているチラシに載っていた目玉商品の場所をいち早く見つけてゲットする。生産地と賞味期限を目を皿の様にしてチエックする。
気の弱い魚等は、そんなおばちゃまの鋭い眼光を恐れてか目を伏せて死んだ振りをしているぐらいである。
その点おじんは、仕方なくといった感じでモソモソ動いているから、おばちゃまの大きなお尻に飛ばされてしまうのである。
一人暮らしのお爺さんは自宅にいると、つい気を許して集金人や宅急便の人等が来た時にパジャマやよれよれのステテコ姿で対応しがちである。玄関もサンダルやくたびれた靴やゴミ袋等で雑然としていると背景に豪華な装飾が有ったとしてもみじめな感じを受けてしまうものなのです。
誰がどう思うと勝手だ、そんなこと気にする方が馬鹿だと言う人もいるでしょう。それはそれで結構だと思います。何故ならそのくらいの気概が有る人の目は生き生きしていて他人にみじめさ等感じさせない活力があるからです。
川越市ではちょっとした有名人がいます。その人は『ブランドおじさん』というあだ名で呼ばれており、衣類は当然のこと、頭のてっぺんの帽子から靴に至るまで、更にはネックレスから腕に掛けた小さなバック、袖からチラッと見え隠れする腕時計まで全て高級ブランドで身を包んでいるのです。
年齢はおそらく80歳は超えていると思われるお爺ちゃんなんです。背筋を伸ばし、お披露目をするかのように駅前の繁華街をゆっくり往復するのが日課なんですがちっともいやみなど感じないのですねこれが。
舞台で好きなカラオケを歌うのと同じで、きっと彼の舞台は大勢の人が行き交う繁華街であり、そこで自分のファッションを披露するのが趣味であり生き甲斐なのでしょう。
よれよれのステテコで歩かれるよりよっぽどましであります。小俣のヨチヨチ歩きが微笑ましくさえ感じるから、これまた不思議なんですね。
みじめな感じを与えてしまうのは清潔感ではないかと私は思っています。高価なブランド品を身に着けても清潔感が無ければ軽蔑されるだけです。3着で千円のティーシャツでも清潔感ある着こなしをすれば好印象を与えると思うのです。
高齢者の男性は何故かうつむき加減で歩きがちです。外を歩く時は目線に注意してほしいのです。足元の2〜3メートル先の地面を見つめながらトボトボ歩いていては近所の知り合いの人とすれ違っても気が付かないでしょう。
なるべく正面を見つめて、知り合いと出会ったら空を見上げて『良いお天気ですね』ぐらいの言葉をかけたら相手も自然と笑顔で挨拶する筈です。下を向いて『良い地面ですね』なんていう挨拶はないのですから。
人混みが苦手な一人暮らしのお爺ちゃんも、たまにはジャケットを着て街をぶらついてみませんか、そこで素敵なおばちゃまに出合ったら歌手のヒロミ郷のようにジャケットの前をバッと広げて、又バッと元に戻してポーズを決めたら素敵な未亡人とお知り合いになれるかも知れませんよ。
残りの人生にもう一花咲かせましょうよ、でも狂い咲きだけはしないようお互いに注意しましょう。