白髪の王子様の好奇心 102 大物と小物

大物と小物
今月イギリスで行われたイースターの期間中、ロンドンで約356億円にのぼる宝石や現金が盗まれたそうです。
犯人は屋上からエレベーターのシャフトを伝って地下の金庫室に入り、分厚い金属扉を壊して中に侵入、約70あった金庫をこじあけて金品を盗み出したそうです。これだけの大仕事をしておきながら誰にも見つからず煙のごとくドロンしたそうでルパン三世もびっくりの鮮やかな手口であります。
日本での鮮やかな盗難事件と言えば1968年、東京の府中市で起きた3億円事件が思い出されます。
今から47年も前ですから現在の貨幣価値に換算したら莫大な金額です。現金輸送車を襲ったものですが誰一人傷付けることなく騙し取った手口は鮮やかで、庶民は昭和の鼠小僧とばかりに色めき、自分なりの推理を友人とぶつけ合って楽しんだものです。年寄りを突き飛ばしてバックから3000円を盗み取る小物のコソ泥には怒りを覚えますが、今回のロンドンの盗難事件といい日本の3億円盗難事件といい誰一人傷付けることなく裕福な金持ちから盗んだ大物盗賊には何故か憎しみは無くあっぱれと思ってしまうのは何故でしょうか。
事件を取り扱う警察にとっては犯人が英雄視されたらたまったものじゃありません。東京の3億円事件では11万人にものぼる容疑者リストをつくり徹底的に調べ上げたそうです。そのリストのなかには当時近くの高校に通っていた高田純次布施明の名まであったそうです。
日本歴代の大泥棒と言えば、先ず名があげられるのは盗賊の頭であった石川五右衛門でしょう。秀吉の枕元まで忍び込んだという話は有名ですがその真意はわかりません。しかしこの石川五右衛門を処刑するにあたり、秀吉の指示を仰いだところをみると、天下に轟く大泥棒であったことは事実なのでしょう。盗賊の一味10余名と五右衛門の母親を含む大勢の親族も処刑された記録があるそうです。
次に有名なのは江戸時代の盗賊、鼠小僧次郎吉でしょうか。次郎吉はたった一人で大名屋敷だけに忍び込み、盗みを重ねました。その数なんと記憶していただけでも99ヶ所、122回に及んだといいますから、次郎吉に2度も3度も入られた大名屋敷が有ったことになります。捕まった時には殆んど所持金が見つからなかったことから盗んだ金の一部は貧しい人に配ったのではとの神話が生まれたようです。五右衛門と違って次郎吉はたった一人でしかも裕福な大名屋敷だけを狙っただけでなく捕まる直前には妻や妾にまで離縁状を渡して罪が及ばないように図り、親からは勘当を受けていたことから誰一人連座制の罪を負わせることなくたった一人で処刑されたことが庶民の心を捕え、義賊として称賛されたのでしょう。
更に日本一と言われる200名程の大盗賊団を率いた日本左衛門も義賊としてその名を轟かせました。
彼は次郎吉と違って大店と呼ばれた富豪な商家を狙い撃ちです。しかも時代劇に出てくる『お主も悪よの〜』の評判の悪い大店に押し入り、盗んだお金の一部は貧しい人に与えたそうです。
そして盗みに入った先で警戒中の十手持ちと遭遇してもけして殺したりせず、柱に結わい付けて盗みを続けたそうで、池波正太郎の雲霧仁左衛門はこの日本左衛門がモデルではないかと私は睨んでおります。
怪盗稲葉小僧も『盗みはするけど非道はせず』と公言し、人を殺めず盗んだお金は貧しい人に分け与えたといいます。鼠小僧と混同されて伝わることも多かったようです。
もう一人たった一回だけの盗みですが江戸幕府を震撼させた大泥棒がいます。その名は藤岡藤十郎、彼とその仲間のたった二人で将軍様が暮す江戸城に忍び込んだのです。
そしてあの有名なご金蔵から千両箱4箱をまんまと盗み出すことに成功したのです。事前に警備の配置や合鍵の作製など準備万端に整えての計画的犯行だったようで、今回のロンドンの盗難事件に匹敵する手口鮮やかな大事件と言っていいかもしれません。
江戸時代は天下国家ばかりに奔走し、貧しい庶民には目もくれなかったことから悪政には悪をもて対決し、悪銭をため込んだ豪商に対してはその金を盗んで貧しい人に分け与える義賊が多く誕生したのではないでしょうか。
盗むことは悪いことですが、いつの時代も大物と呼ばれる人は貧しい庶民を助けようと権力者や裏の権力者であった富豪と戦ってきたのです。弱い庶民をいじめるのは決まって下っ端役人とか小物のチンピラやコソ泥です。
皆様もゴマスリで出世しようなんて小物の野心など持たないよう願います。ましてや仲間や部下に失敗の責任をなすりつけるようなことはコソ泥以下です。どうせなら課長や部長からではなく社長から首を切られるぐらいの大物になってほしいものです。
だからといって社長宅に忍び込んだりしないで下さいね、そういう意味じゃありませんので。


空を見上げるのさえ怖くなる春雷の前触れです。