暦とカレンダー
2月4日は立春、暦の春を笑うかのように我が町川越も雪景色と成りました。
朝刊の4コマ漫画のコボちゃんが妹に暦の上の説明ができなくて困った様子が
描かれていましたが我々でさえあやふやな答えしかできそうにないので、またまた
好奇心の助けを借りて調べてみました。
明治5年12月3日 太陰太陽暦から現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦された時
同年の12月3日を翌年の1月1日としました。
これだけ旧暦と新暦のずれがあったのですね。12月生まれで3日以降の誕生日の人
は忍者の目隠しの煙と共に誕生日は消えてしまったことになります。可哀そう〜〜
旧暦の基礎となる月の周期は29・531日です。このまま12か月過ぎると年間
354日となり約10日間のずれが生じます。3年で約1か月ずれることから昔は
3年に1度同じ月を繰り返し、その年を13か月として調整したそうです。実に大胆
な調整ですね。おかげでその月誕生日の人は二ケ月続けて誕生祝いをしてもらったの
でしょうか? うらやましい〜〜。
カレンダーを辞書で引くと、七曜表と書かれています。つまり1ヶ月を一週間ごとに
数字を列挙したものがカレンダーであり、旧暦にもとずき季節ごとに日の出、日没、
月の満ち欠けや故事、更には年間の予知すべき事項から立春、春分、節分等の行事を
こまかく記載したものを暦と言っていいと思います。
体感と暦のずれは、実は旧暦と新暦のずれでは無く、大気と地表は温まりにくく冷め
にくいという性質が有るため、春の太陽エネルギーを受けても大気と地表が暖まるのに
約2か月程かかるのです。同じように今度温まると冷めにくいため日照時間が一番短い
冬至の寒さが今頃迄ずれ込んでいる訳なんですね。
現在の暦の行事が毎年殆んど新暦の同じ時期に当たるのは、日本独自に改暦を繰り返し
てグレゴリオ暦に劣らない程正確な暦を完成させていたからなんです。
それなら何故新暦を採用したのでしょうか? それは欧米先進国に追いつけ追い越せ
の気風が新しく誕生した明治政府に強くあったからです。
改暦された明治5年といえばもう一つ思い出すことが有りませんか?『♪汽笛一声新橋
を〜〜♪』と歌われた鉄道の開通も確かこの年ですよね。
ちょん髷を切り落とし『ざんばら頭を叩いてみれば文明開化の音がする』こんな歌が
持てはやされた事から庶民も新しい時代に夢を膨らませていたんでしょう。
仕事を終え、雪の降る中の帰り道、『道も白く成りましたね』と近所のご主人の挨拶
を受け、『白髪が目立たないので助かります』と答えたら声もださずに笑ってすれ違う。
自宅に帰って暫くしてから姉から電話が入り『そっちは雪大丈夫かね?』と心配の様子
なので『大変だよ さっき白熊が歩いていたよ』と答えたら『あら良かったわね』と
簡単に受話器を置かれてしまった。
どうも最近私のフェイントの効果が薄れたようで悲しい。
追記 コボちゃんでも分かりそうな年間の季節のサイクルを図案化してみました。
実際には24節季とか72候とか細かい区分がありますが自分も分からない
ので省略しました。
この図を見ると春の中心は春分の日で、立春とは春のきざしが見られるという
意味なんですね、これから3寒4温という言葉が気象予報士の方から聞かれる
と思います。せっかちにならず、ゆっくり春を迎えましょう。