白髪の王子様の好奇心 58 お風呂屋さん

風呂屋さん
近くの商店街からお酒屋さんが消えてしまいました。
昨年は文房具店と本屋さんと薬屋さんが神隠しに遭ったように消えて無くなりました。
汐が満ちるごとくじわじわと買い物難民のウイルスが押し寄せています。
以前、高度成長期に逆行するかたちで廃業の先駆けとなったのは映画館とお風呂屋さんでした。
映画館はテレビの普及によって、お風呂屋さんはアパートや団地に風呂が設置されるようになり、経営が困難になってしまったのです。
そこに目を付けたのがマンション業者です。いずれも広い土地を所有していたので次々と高層ビルに変身してしまった訳です。
時代の波に乗るか乗れないかは人生を含めサーフィンを見る思いであります。
風呂屋さんには楽しい思い出が沢山あるので近くにあれば今でも行きたいと思っています。
まだまだ頑張って営業しているお風呂屋さんも有りますが電車に乗ってまで行くにはチョット・・・ですね。私が成人するまで住んでいた下町では東にも西にも歩いて3分程度の処にお風呂屋さんが有ったのでズボンの上は肌着のままで肩にタオルを引っ掛け、さっそうと出掛けたものです。
真夏にはフンドシ姿で通うお爺さんもよく見かけました。横から見るとフンドシがたるんでいてお粗末なポコチンが見えていても誰も気に止めなかったものです。
断っておきますが、江戸時代の話じゃありませんよ、50年前の話です。
東京タワーを建てている頃の下町はまだそんなもんだったのです。
日本での風呂の始まりは僧侶が身を清めるための浴堂を設け、近くの庶民にも開放したのが始まりとされています。
お金を出せば誰でも気軽に入れる銭湯が登場したのは江戸時代で、当初は下着を付けたまま入る蒸し風呂でした。スッポンポンで浴槽に浸かるようになったのは1704年頃(五代将軍徳川綱吉時代)からで男女混浴だったそうです。うらやましくて、よだれが垂れそうですが、若しかしたら男の方が顔を赤くして前を隠していたかも知れませんね。
スッポンポンで入るようになると下着を包むものが必要になります。そこで衣類をすっぽり包める風呂敷が登場したのですね。風呂敷の語源は文字そのままであります。
今から50年程前、全国で2万軒以上有った銭湯は現在5千軒程度にまで減少してしまいました。
それに伴って浴槽の壁一面に雄大な富士山を描いてくれた銭湯絵師も2012年には関東でたったの2名となってしまったそうです。
あの雄大な富士を眺めながら長い足を伸ばしてゆったり湯に浸かることが出来ないのはとても残念です。
『お〜い 石鹸をくれ〜』とご主人が女湯に向かって声を掛けると
『あいよ〜』と答えが返ってきて2メートル程の仕切りの上から石鹸が投げ込まれる。
そんなのどかな光景が懐かしく思い出されます。
今、私が『お〜い お茶をくれ〜』と声を掛けると
『ご自分でどうぞ〜』と返ってくる。
我が家にも古き良き時代が有ったような気がするのですが・・・