白髪の王子様の好奇心 57 ちょん髷

ちょん髷
私はちょん髷もののチャンバラ映画やドラマが好きです。
ちょん髷もののストーリーはシンプルでいいですね。勧善懲悪でたとえラストシーンがバレバレでも結構楽しめるから不思議です。
子供の頃はよくチャンバラごっこをしてコブタンをこしらえたし、見る映画も殆んどチャンバラ映画の3本立てでした。水戸黄門が好きな世代はそんな潜在意識が働いているのではないでしょうか。
ところでそのちょん髷ですが、どうしてあんな禿頭に犬のウンチを載せたような変な恰好に成ったのでしょうか。誰しも不思議に思いますよね。
そこで調べてみると、ちょん髷は数ある髷の結い方の一つで、髪の毛が薄くなった老人が後ろ髪を集めてチョコンと載せたことからちょん髷と言われるようになったようです。
江戸時代は銀杏髷(イチョウマゲ)とか相撲の関取が結ってる大銀杏髷が主流でした。
茶筅髷(チャセンマゲ)は織田信長が若い頃好んで結ったもので、志村けんのバカ殿様のヘアスタイルであります。
前頭部を剃るのは月代(サカヤキ)と言って、何と飛鳥時代の貴族から始まり平安末期に成って武士にも広がったそうです。貴族がオバケのQ太郎のように毛を3本だけ残してツルツルに剃ったら武士もそうしたかというと目的が違っていたので残念ながらそうは成らなかったようです。
貴族の間で月代が流行った理由は冠を被るのに前髪が邪魔になったからです。冠が前髪の上に載ると安定せず横にずれてしまうので初めは毛を抜いていたようですが化膿すると痛くて冠も被れなくなるので半月のように剃るようになって月代と呼ばれるようになったとのことであります。もし全部剃ったら満月と呼ばれたかも知れませんね。このブログを見ている方で満月の方がおりましたらお詫び申し上げます。
後頭部に髷を結ったのは冠の横からかんざしの様なピンを通して髷を貫き、冠を安定させる為です。
武士が頭を剃ったのは兜で頭が蒸れるのを嫌ったからです。夏場にヘルメットを被ってバイクを運転する人や建築現場で作業する人なら理解できると思いますが、戦国時代の兜は通気が悪くほぼペッタンコだったので茶碗蒸しが作れる程蒸したに違いありません。そして髷が有ることによってクッションにも成るし通気の役目も果たしてくれたのでしょう。あっと言う間に広まったようです。これは流行であって決まりでは有りません。大河ドラマ黒田官兵衛も剃らずに後ろに束ねていますよね。
頭を剃る風習は他にもあります。
子連れ狼の大五郎ちゃんを覚えていますか? 可愛い大五郎ちゃんの頭のてっぺんはカッパの頭のように剃っていましたよね。あれは子供を水難事故から守るために幼い子供の頭を剃ったものです。
当時、海や川だけでなく池や沼にもカッパが住んでおり、そこを通りかかると足を捕まえて引きずり込むと信じられていました。そこでカッパのような髪型にして、同じカッパの仲間ですからいたずらしないで下さいとのメッセージなのです。女の子のオカッパの髪型も同じです。
迷信と言えばそれまでですが、子を持つ親は真剣に祈りながら剃ったに違いありません。
今でもカッパを祭る習わしは全国にあります。泳ぎの上手な人をカッパのようだとも言います。どうしても泳げない人は頭のてっぺんを剃ったら泳げるようになるかもしれません。何事も信じることが大事であります。責任は屁のカッパのカッパに委ねたいと思います。