白髪の王子様の会話ドラマ 時空神社シリーズ 江利チエミ ④12歳の大黒柱

④12歳の大黒柱
◎素朴な質問ですがチエミさんがジャズに傾倒した理由は何ですか
☆戦時中は外国の歌を聞くことも歌うことも禁止されていたけど 父はバンドマンだったので家ではこっそりと西洋の曲を弾いたり歌ったりしていたの そのリズムカルな曲を聞くと自然に体が揺れて踊り出したくなってくるのよ 戦争が激しくなって疎開先にも米軍機が爆弾を落としたけど口パクで西洋の曲を口ずさみながら恐怖感に堪えたもんだわ そんな経験と私に受け継がれた父のDNAがそうさせたのかも知れないわね 
ジャズと言っても今と違って当時はクラッシック以外の西洋の曲はみんなジャズと呼んでいたのよ
◎そうですか チエミさんが物心がついた頃の日本は正に戦争の真っ只中でしたね 戦時中は英語の歌どころかローマ字を使う事さえ禁止されたそうですね
☆そうなのよ 兄は野球が大好きだったけどユニホームのチーム名や背番号まで漢字に書き換えられたと口を尖らせていたわ 然もね野球用語まで無理やり日本語にしたためストライクを『真ん中』とか『一本』・三振を『それまで』と言わされたそうで審判も大変だったみたい だから三振すると互いに『♪はい それま〜で〜よ〜♪』と野次りっこしたと笑っていたわ
◎そうですか それじゃフォアボールは『四つ外れ』といったんですかね なんか試合の緊張感がなくなりますね 
ところでお父さんはバンドマンとおっしゃっていましたが音楽に欠かせないドレミファまで日本語に改変させられたんですかね
☆ドレミファは英語ではなくイタリア語なのよ 日本とイタリアは当時同盟国だったから何の問題もないからと父はよく西洋の曲をドレミファの音階で歌っていたわ
◎良かったですね楽譜のオタマジャクシまでが廃止されて代わりにおしゃもじや孫の手に替えられたら演奏出来ませんもんね
☆くだらない事を真面目な顔して言わないでよ
◎すみません 先日珍しく真面目なことを言ったら『くだらない顔して真面目なことを言うな』と言われたもんですから・・・はい
☆貴方と話してると今の日本はとても平和なんだろうなと安心するわ
◎話が逸れましたが終戦後はジャズも思う存分歌うことができるようになって水を得た魚のように親子で楽しく歌い そして踊ったんじゃありませんか
☆神様は終戦後の地獄絵の様な暮らしから我が家だけを幸福にするような不公平なことはしなかったわ
父はこれからという時に指を怪我してピアノもクラリネットも弾けなくなりバンドを辞めてしまうし 兄弟で特に頭の良かった一番上の兄は軍を辞めてから良い職につけずに家でブラブラしてたし 母は私を産んでから体を壊して寝たり起きたりの状態で明日どころか今日食べる物にも事欠く状態だったのよ それで父がバンド仲間から米軍キャンプでのアルバイトを聞き付け 父がマネージャーとなり 私が歌って 兄が付き人の三人タッグで進駐軍のキャンプ地巡りをはじめたの
◎それはチエミさんが何歳頃の話しですか
☆12歳だったわ
◎12歳で家庭の大黒柱となった訳ですね 肩の荷はだいぶ重く感じたことでしょうね
☆初めは辛いというより怖かったわ だってついこの間まで私達の頭上に爆弾を落とした敵のアメリカ人の基地の中に入るのよ そのまま出て来れなくなるんじゃないかととても心配だったわ
◎それで基地内の雰囲気はどうでしたか
☆門番の二人は仁王様か閻魔様のように私達を睨みつけるなり肩から吊るした銃に手を掛けた時にはもう終わりかと思ったわ 15分位待たされたけど中から迎えに来た兵隊さんはとてもにこやかに『ドウゾ コチラエ』と片言の日本語で優しく迎えてくれたの ほっとしたとたんオシッコ漏れそうになったわ 
◎漏れそうじゃなくて漏らしたんでしょ
☆ええ ちょっとだけ・・・何を言わせんのよあなた 12歳の少女に向かって失礼でしょ 
◎失礼申し上げました 自分が最近ちょくちょくちびるもんですから つい・・・
ところで噂によるとチエミさんは英会話が出来ないそうですがどうやってアメリカの兵隊さんがびっくりするような本場のジャズを歌うことができたんですか
☆同じ曲を何度も何度もきいて覚えたのよ 試験前の丸暗記と同じね
◎わらじが擦り切れる程頑張ったんですね
☆わらじじゃなくてレコードが擦り切れる程何度も繰り返し聞いて覚えたのよ 弥次喜多道中じゃあるまいし何で私がわらじが擦り切れるまで歩かなくちゃいけないのよ
◎米軍のキャンプ地巡りで使用したチエミさんのわらじがネットオークションで売ってたような気がしたんですが思い違いですかね
☆バッカじゃないの あなたの脳味噌こそスカスカのわらじで出来てるんじゃないかしら
◎はい 確かに風通しの良い脳味噌だと自負しております
私のことはさておき 12歳のか細い大黒柱は本場のジャズのレコードを繰り返し繰り返し聞くことによって出来た年輪で太くたくましい大黒柱に成長されたんですね
☆名も知られていない素人の歌手である私をプロの歌手に育ててくれたのはアメリカの軍人さん達だったの どこのキャンプ地に行ってもにわか作りのステージに上がると大きな拍手と笑顔で迎えてくれたし 歌い終わると『エリ〜 エリ〜』の歓声と共に全員総立ちで割れんばかりの拍手を贈ってくれたのよ たった12歳のこの私に その時思ったわ 国と人間とは別の生き物だと 彼等は私達と戦ったのではなく国と戦ったんだと
◎世界から国歌と軍歌を無くすだけでも世界平和に貢献出来ると思いますね それでこそ歌には国境がないと胸を張って言えるんじゃないでしょうか
☆わらじの脳味噌にしてはいいこと言うじゃないの 私が一番先に夢中になった歌手は日本の歌手では無くドリス・デイだったの『センチメンタル・ジャーニー』とか『アゲイン』とか『ケセラセラ』とかのヒット曲を必死で覚えたわ 『ザット イズ ア ペン』のような日本語英語ではなくドリス・デイの発音をそのままコーピーして本物の英語で歌ったもんだからアメリカの兵隊さんもびっくりしたみたい
NHKの紅白で初めて歌ったのもそのドリス・デイの『ガイ・イズア・ガイ』という曲よ
◎なんですかその骸骨のような曲は
☆ガイはナイスガイのガイで『男はしょせん男』優しくみえても皆んな狼だから話したりしてはいけませんよと母親から言われたけど そんなのつまんないというような内容の歌で結構ヒットしたのよ
◎きっと曲を聞けば思い出すと思いますが そのナイスガイで思い出しましたがチエミさんと同じ年に生まれたナイスガイの歌手が今でも現役で活躍してるんですが誰だか分かりますか
☆え〜〜っ 誰だろう 北島のサブちゃんは確か一つ上だし 鼻の穴が邪魔してナイスガイとは言えないし・・・え〜〜誰だろう 
◎降参ですね 加山雄三さんですよ
☆あ〜〜〜 そうだそうだ 何時か楽屋で逢った時その話題で盛り上がった事があったわ 加山さんが『若し俺が女だったら4人娘で一緒に歌ったり映画に出たりしてたかもしれないな』と言ったので私が『加山さんは女よりお兄ちゃんのがいいわ』と言ったら人差し指で鼻の横をスリスリしながら笑っていたっけ 凄いな〜 加山さんまだ現役でがんばってるんだ〜
◎もっと驚くと思いますがチエミさんが夢中になったドリス・デイさんもまだ健在だそうですよ
☆ウヒョ〜〜 それじゃ私ももっと頑張らなくっちゃ
◎頑張るって チエミさんはもう天国に居るじゃないですか
☆あっ そうだっけ 忘れてた アハハハハ

続く